遊びと子どもについて語り尽くす

地域に子どもの遊び場を作るプレイリーダーという仕事をしています。

子どもの我慢強さ(後編)

続き
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冒険遊び場で遊びに没頭する子ども達は、非常に衝動的でありながら、ただ楽しんでいるばかりではないようです。
 各々が遊びの中で目的を見出し、それらを達成するために大小様々な困難に取り組んでいると思います。鬼ごっこも、ままごとも、虫取りも、ほか沢山の名前のない遊びにも、それは確認できます。

 例えば、子どもたちが何日も通い詰めながら、自分達の基地を少しずつ増築してゆく様子に着目してみましょう。

 天候に恵まれない不運はもちろん、技術、材料の不足や、グループの内部抗争、敵対勢力の出現など、沢山のトラブルを乗り越えて作られる彼等の基地は、純然たる遊びの結晶でありながら、子どもが諦めずに最後まで頑張った結果そのものでもあります。

ところが本人達は、それをいちいち「努力の賜物だ!」とか「これは大人に褒められるべきだ!」などとは考えないようです。「できたー!」と、ひとしきり皆で喜んだあとは、飽きるまで基地の上で漫画読んだりお菓子を食べたりするだけ。これが日常の遊びであるからこそ、彼等はその都度必要な力を発揮し、発達するのだと思います。

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"我慢させられるから行う我慢”というのは、自分の器に欲求を無理やり押し込んでゆく行為だと考えます。押し込み過ぎれば、華奢な器は容易く損壊します。かと言って押し込んだまま放置すれば、その器は新たな我慢で加圧されてゆくので、やはり崩壊は免れないと思います。

対して、"遊びの中で自ら望んで行う我慢”というのは、自分の欲求を、その器からうまいこと解放してゆく行為だと思います。子ども達は遊び慣れるほどに、分不相応な欲求を正面から追い求めるような真似はしなくなります。友達と協力したり、たくさん時間をかけたり、本を読んで新たな知識を得たり、工夫を凝らして局面を乗り越えようとするわけです。そして、それ自体が遊びなんですね。

要するに、子どもが忍耐力をつけるにあたって大人がなすべき仕事は、子どもが幼い頃に我慢を覚えさせる事なんかではなく、子どもが自分のために存分に力を発揮できるように、幼少期から目一杯遊ぶ環境を整えてあげることだと、思うのです。ただ、前編に書いたように、僕自身がそんな風に育っていないので、言うほど上手くはいきません。特に家族など、相互依存を期待する相手なら尚のこと、こちらの事情を理解して我慢する事を要求してしまうでしょう。ですから、これは僕にとって人生を賭けた"目標"として、書き綴りました。