遊びと子どもについて語り尽くす

地域に子どもの遊び場を作るプレイリーダーという仕事をしています。

子どもアドボカシーとか聞くと

子どもの意見が、本当に子どもが言いたい事とは限らない。それは、子どもが特になにも意見していなくても、子どもに言いたい事が何もないとは限らない、という事でもあります。

 


子ども達の日常を通して、微細な言動の変化を観察しては、その心情や背景に思い馳せる事が、「大人が子どもを理解しようとする」という事だと思います。

 


 アドボケイトに問われるのは、子どもの意思表示などではなく、大人側の観察力と想像力だと思うのです。

不登校の悩みに

「(楽しくないから)学校なんて行きたくない!」なんて子どもが行き渋り始めたら、多くの日本の親は不安で仕方ないんじゃないかと思います。無理もありません。だって学校以外に見通しがつく選択肢がほとんどないのだから。

 

僕も不登校でした。ただ、中学、高校と徐々にそれを深刻化させておきながらも、なんと無事に卒業できてしまったのです。ただし高校最後の2年間は、他の生徒に見つからないように登校時間を大きくずらして、放送室で息を潜めて2、3時間自習(という名の下、放心してやり過ごす)してひっそり帰る、という、惨めで寂しい学校生活でしたが。要するに、ちゃんと不登校できなかったわけですね。当然、成績も受験も、あったもんじゃありません。生きる希望を失い、卒業後はそのまま引きこもりになってしまいました。思い返すと「そりゃそうだ」と。ただ登校するためだけに、多感な数年間自分を抑圧して過ごしたのですから。この時の心の傷痕は思っていたよりも深く、近年になってようやく「あれ?もしかして完治することはないのかな」と思うようになりました。長年の精神科や薬、自助努力のおかげで、どうにか生き抜くスキルを身につけたようですが。

そんな経験もあって、僕は、子どもを無理に学校に通わせる事は、その子の心を深く傷つける事になるんじゃないかと心配になってしまうのです。

 

行き渋り始めた子どもには、むしろそれを機にしっかり学校を休んでみて、「自分には逃げ帰る場所があるんだ」と心から感じて欲しいものです。

 

これまでも、様々な不登校の子どもと出会いました。子どもがもし、自分の理想と学校とを天秤にかけて、折り合いをつけたり、別な道を探し始めたりするならば、それは窮地に立たされたからではなく、子どもが充分安心を感じるからだと考えます。実際、そんな事例を沢山目にしてきました。そして僕自身、そういう手順を踏んで人生を再生しているのです。

 

追記:
ならば親はどうすれば良いか?
僕が思うに、親の抱える不安は事実として伝えて良いのではないか、と思います。ただし、その不安は「あなた(子)が学校に行かないせいで」ではなく「私(親)があなた(子)に学校に行かせたいせいで」と、責任の所在をハッキリさせた上で。

そして同時に、「だけど、あなた(子)の気持ちを1番大事にしたい」と言ってあげてください。選択肢を照らして、色々経験させてあげてください。そこに丁寧な対話が失われなければ、例えゲームばかりしてる子どもでも、いつか改めて考える時がくると思います。「今の自分にとってのベストの選択は何か?」を。

子どもの我慢強さ(後編)

続き
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冒険遊び場で遊びに没頭する子ども達は、非常に衝動的でありながら、ただ楽しんでいるばかりではないようです。
 各々が遊びの中で目的を見出し、それらを達成するために大小様々な困難に取り組んでいると思います。鬼ごっこも、ままごとも、虫取りも、ほか沢山の名前のない遊びにも、それは確認できます。

 例えば、子どもたちが何日も通い詰めながら、自分達の基地を少しずつ増築してゆく様子に着目してみましょう。

 天候に恵まれない不運はもちろん、技術、材料の不足や、グループの内部抗争、敵対勢力の出現など、沢山のトラブルを乗り越えて作られる彼等の基地は、純然たる遊びの結晶でありながら、子どもが諦めずに最後まで頑張った結果そのものでもあります。

ところが本人達は、それをいちいち「努力の賜物だ!」とか「これは大人に褒められるべきだ!」などとは考えないようです。「できたー!」と、ひとしきり皆で喜んだあとは、飽きるまで基地の上で漫画読んだりお菓子を食べたりするだけ。これが日常の遊びであるからこそ、彼等はその都度必要な力を発揮し、発達するのだと思います。

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"我慢させられるから行う我慢”というのは、自分の器に欲求を無理やり押し込んでゆく行為だと考えます。押し込み過ぎれば、華奢な器は容易く損壊します。かと言って押し込んだまま放置すれば、その器は新たな我慢で加圧されてゆくので、やはり崩壊は免れないと思います。

対して、"遊びの中で自ら望んで行う我慢”というのは、自分の欲求を、その器からうまいこと解放してゆく行為だと思います。子ども達は遊び慣れるほどに、分不相応な欲求を正面から追い求めるような真似はしなくなります。友達と協力したり、たくさん時間をかけたり、本を読んで新たな知識を得たり、工夫を凝らして局面を乗り越えようとするわけです。そして、それ自体が遊びなんですね。

要するに、子どもが忍耐力をつけるにあたって大人がなすべき仕事は、子どもが幼い頃に我慢を覚えさせる事なんかではなく、子どもが自分のために存分に力を発揮できるように、幼少期から目一杯遊ぶ環境を整えてあげることだと、思うのです。ただ、前編に書いたように、僕自身がそんな風に育っていないので、言うほど上手くはいきません。特に家族など、相互依存を期待する相手なら尚のこと、こちらの事情を理解して我慢する事を要求してしまうでしょう。ですから、これは僕にとって人生を賭けた"目標"として、書き綴りました。

子どもの我慢強さ(前編)

子どもの我慢強さ
「もう少し我慢させないと、将来がまん強い子になれないのでは?」。

子ども達が好き勝手に遊んでばかりいる光景を前に、こんな心配の声もあります。
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僕は、25歳の時に境界性パーソナリティ障害と診断されました。情緒不安定で傷つきやすく、キレるたびに簡単に自暴自棄に陥り、突然何をしでかすか、自分でもわからない危うさを持っていました。この時点では、とても社会にでて他人と一緒に働けるような状態ではありませんでした。ところが、子どもの頃は周囲の大人からよく「お前は我慢強いなあ」とか「大人しくて良い子だよなあ」などと評価されたものです。「わがままを言わない」「他人に譲る」「人に従う」そんな子どもだったと思います。

 

 ⚫︎知恵も知識も未熟な子どもの器にただ"我慢"を強いている時、その器には負荷がかかっていると思います。厄介な事に、子どもに過度な負荷がかかっていても、それを外からハッキリ確認することができません。圧力鍋のイメージが近いと思います。しかし、10代の中頃にもなると、かけ過ぎた圧力は人間関係や生活態度そのものに異変として現れます。世界について、自分なりの解答を抱きはじめるのが、この時期だからです。

 

そういう時期に、僕は「自分らしく生きるにはあまりに生きづらいのがこの世界なんだ」と悟りはじめていました。そうなると選択肢を自ら閉ざしてゆきます。あらゆる局面で逃げることしか思い浮かびません。にも関わらず、どこまで逃げても、逃げきれないのです。引きこもりの人が外に出れないのは、引きこもった部屋においてすら、「ここから始めても良いんだ」と心から思えないからです。

 

僕の場合は、インターネットや主治医や本を介して、良い知識、良い知恵、良い薬と出会えたおかげで、どうにか無事に生きながらえる事が出来ました。絵を描いていたおかげで、曲がりなりにも自己表現できていたことも、大きいかもしれません。

とにかく、人が生きてゆくために必要な忍耐力は、我慢し(させられ)続ける事で身につくものではない事が、この経験ではっきりしたのです。

子どもの我慢強さ(後編)へつづく

創造的な想像力と遊び

①想像力と子どもの遊び

 


 女の子が泥水溜まりにどっぷりと浸かって、ヒヨコのフィギュアをバシャバシャと洗っています。こういうの、冒険遊び場では割とよく見る光景です。彼女は3歳くらいかな?何か、ずっとしゃべり続けています。「さ、綺麗にしましょうね?あら、まだ洗って欲しいの?」と、手にしたヒヨコに話しかけているようです。

 


 で、おもむろにソイツを泥にぶち込んで、荒っぽくザバザバと掻き混ぜるので、見てるこっちは「死んじまう!(本物なら)ヒヨコ死んじまうぞ!」と思わずツッコミたくなります。しかしこんな時こそ、そっと観察してみてください。子どもが遊ぶことの、更なる意味が発見できるはずです。

 

 

 

②現実世界を遊ぶセンス

 


 この女の子の遊びも、一連のそれを面白いと感じる僕の感覚も、「センス・オブ・ワンダー」と呼べるものだと思います。生物学者レイチェル・カーソンが、自然の不思議さに目を見はる感性を描いた、同名の本がベストセラーですね。

 


センス・オブ・ワンダーは、直訳すれば"不思議感"でしょう。僕はこの不思議感という感覚は、子ども時代であれば誰もが備え得る「創造的な想像力(Creative Imagination)」をエンジンに駆動していると考えます。

 


前述の女の子は、手にしたヒヨコにちょいと命を吹き込んで、お風呂だか洗濯だか、日常生活の一場面を、創造的な想像力を用いて遊んだ(再現した)訳です。

 


 「創造的な想像力」は、ただの妄想や空想とも違います。「彼女がこれまで経験してきた様々な事象を、もう一度彼女の解釈で再構築して、新しいイメージを作る」と捉える事ができます。それこそ「現実世界を自由に遊ぶ」という事ではないでしょうか。

 

 

 

③子どもが遊び続けるワケ

 


子どもの遊びというのは、その子独自の不思議感を刺激して、不思議を体験しているという事だと思うのです。

 


 例えば鬼ごっこは、全力で追いかけてくる恐るべき相手と、肉体を限界まで使えばどうにか逃げおおせるかもしれない自分とを、創造的に想像していると思います。したがって、この想像力が豊かなほど鬼ごっこはエキサイティングなのです。

 


 想像力が発揮されるのは、ごっこ遊びに限りません。例えば虫取りだって、子どもはただ虫を捉えているだけではないと思うのです。虫という謎すぎる生命体と、そんなヤツを捕獲せしめる可能性。それらを頭の中に想い描くからこそ、虫取りにも興奮があるのだと思います。

 


 ビー玉の様にキラキラした目で虫を観察し続ける"虫博士"な子どもは、虫の造形や習性を知ってしまえば満足して飽きてしまう、というわけではありません。見つめるほどに目に見えないところを創造的に想像し、ますます訳のわからん不思議さを感じて「コイツから、さらに多くの情報を得る!」と言わんばかりに見つめ続けるのだと思います。

 

 

 

④ここは本当はワンダフルな世界

 


 どんな子どもにとっても、この世は知らないことだらけです。それはつまり、色々わかったつもりでいる僕達大人にとっても、この世界はもともとは不思議に満ちたワンダーランドだった、という事になります。ところが、みんなが大人になる頃には、あれだけ夢中になっていた鬼ごっこに「ただ追いかけたり逃げたりするだけ?かったるいわ〜」ってなります。虫にも「さして興味ないわ〜。むしろ気持ち悪いわ〜」ってなります。なりません?それは羨ましい。僕はなりました。しかし、子どもの頃は確かに、大量のダンゴムシを小さなポケットにパンパンに詰め込んでしまうような凶悪なエンジンを搭載していたんですよ。

 


 人は、創造的な想像力を駆動して、「この世に生きているって、すごいな」と実感するのだ思います。僕はそういう感覚に憧れて、「子ども時代にもっと不思議を愛し抜けたら良かったなあ。周囲の目、特に大人の目を気にして、遠慮し過ぎていたかもなあ・・・・」などと少しセンチメンタルになる時があります。そんな時、目の前の子ども達の目線を借りるように、彼らが見つめるものに目を凝らしてみます。「すげえなあ、面白いなあ」と全身で反応する子ども達から、その感覚を再び学んでいるような気持ちになるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

非認知能力と遊びと発達

「非認知能力」という言葉を知った時、「これで子どもが遊ぶ事の重要性が、もっと具体的に理解されるのかも」などと淡い期待を持ったものですが、今では、もし非認知能力の獲得なんかが子どもの遊びの目的になってしまえば、そこに優劣がついて、生きる事そのものがとても味気ないものになってしまうのでは、などと心配しています。

 

 そんなことを考えていたら早速、「本来数値化できないはずの非認知能力を、数値化してみました!」なんてニュースも見かけてしまい、「非認知とは!?」とツッコミをいれつつさらなる危機感を募らせています。

 

数値化なんかせず、よくわからないものはよくわからないまま、でも大人も子どもも非認知能力上がるといいね、うんそうだね、くらいにしておいたほうが良いのではないでしょうか。

 

能力の獲得とか発達とかは目的にはせず、それが上がるも下がるも人が懸命に生きた結果として、ただ慈しむ視点を大事にしたいなあ、と思うのです。

子どもの遊び場を、子どもから守ったという失敗談

プレイリーダーとしての苦い思い出ですが、子どもに関わる人にとって参考になると思うので書いてみます。

 


僕には、子ども達のイタズラや嫌がらせに対して、①厳しく叱責するか、②それでも言うことを聞いてくれないなら大声で怒鳴りつけるか、くらいしか選択肢を持たなかった時期があります。

 


当時とある遊び場に、必ず5〜10人くらいの徒党を組んで来場する、高学年の子ども達がいました。まだ新参者だった彼等は、来るたびに他の常連の子ども達を離れたところから嘲笑しました。嘲笑された方が「今こっち見て笑ってたよね?なんか用?」と反応してくれば「は?笑ってねえしw何言ってんの馬鹿じゃねw?」とニヤニヤする彼等。僕は、そんな彼らの態度を見るたび不快感を募らせ、この気持ちをとにかく彼らに伝えて、改めさせたい気持ちでいっぱいでした。

 

 しかし、彼らの嫌がらせは収まるどころか、さらにエスカレートしていきます。例えば他の子どもが飼育するために釣ってきたばかりのザリガニを、彼らは戯れに全て踏み潰して一目散に逃げていきました。幼児が大事に使っていた30個程のミニカーを全て持ち出して、ゲラゲラ笑いながらトンカチで粉々に粉砕した事もありました。漫画部屋の漫画数十冊をビリビリに破いて、凄惨な山を築いたこともあります。本当か嘘か、彼らは「俺たちクラスを学級崩壊させた仲間だ」「”先生死ね"って黒板にでっかく書いて、担任辞めさせてやった」「俺は昔いじめられてたから、今度は俺達がいじめる番だ」と豪語していたものです。

 見かねた利用者から「プレイリーダーは怒ってくれないの?」などと声が上がりました。遊び場の運営に関わる人々からも「もっとユウジに怒って欲しい」とか、「子どもに嫌われる事を恐れてるから、怒れないのでは?」などの意見があがりました。実際は、怒ってなかったわけでも、子どもたちに嫌われるのが怖かったわけでもないのですが。

 


 しかし今思い返せば、当時の僕はこれらの大人の評価にとてもビクビクしていたようです。つまり、子どもの遊びや育ちに貢献したい気持ちからではなく、他人(主に大人)に認められたいという動機ばかりで行動するようになっていたのです。だから、この5年生達の心理を机上で分析はしても、(現在僕がするように)彼等の言動の背景に思いを馳せて、その言動のひとつひとつをよく観察し、そこへいちいち共感と尊重を試みる、などということは一切しませんでした。

 

 その遊び場には、「コラァ!」「やめろ!」「もう使わせないぞ!」というような僕の一喝が響くようになりました。しかし、どうやらそのように叱られるのには慣れっこだった彼等にはさほど効き目がなかったようです。だから、僕は声をどんどん大きくしてゆくしかありませんでした。そして最終的には、全身全霊を込めた声量をもってして、彼等を鎮圧するのです。

 

 そんな日々を繰り返すうちに、いつの間にか彼らは来なくなっていました。遊び場は、驚く程平和になりました。僕は当時これを後悔するでもなく「遊び場を守り抜いた」とすら思っていたのです。

 

 それからさらに一年ほど経ったある日のことです。偶然、街のファミレスでたむろする彼らを見かけたのです。楽しそうにモバイルゲームで遊んでいたようでしたが、大人数でソファの背やテーブルの上にも座って、混雑した店内を笑いながら走り回っていたので、遠目にも彼らの柄の悪さと、困っている店員の姿が目を引きました。店内に入って声をかける事もできた筈なのに、僕はショックで思考停止してしまい、それを見て見ぬふりするしかありませんでした。

 


 8年前の話ですが、この時以来、僕は彼等のことを事あるごとに思い返し、自問します。

 


 "子どもの遊び場"などと謳う場所で、僕に全力で怒鳴りつけられた彼等は、何を得たのでしょうか?「やっぱり嫌がらせは、悪いことだよなあ」などと気付きを得る、わけがありません。それどころか彼らは「なあんだ、やっぱりここも、こんなもんか」と、元々信じていなかった世の中への不信感を、さらに募らせたのではないでしょうか。だから、最後の方はその嫌がらせ行為も鳴りを潜めていたけど、その理由は僕や他の利用者に共感したからではなくて、「アイツに怒られるのが面倒臭いからやめとこう」くらいのものだったのではないでしょうか。挙句、「やっぱり、ここもつまんねえな」と、全員来なくなったのだと、考えてしまいます。

 


 「子どもの遊び場を、子どもから守り抜いた」なんて、プレイリーダーにとってこんな惨めな話はないと思います。

 彼等は自ら来なくなりました。それも彼等の選択だったことには違いありませんが、「彼等に遊び場が必要なかった」とは、僕には到底思えないのです。

 子どもに人の心を少しでも理解して欲しい。と願っています。であればこそ、まず僕が子どもを理解し、受け入れる必要があったのです。