本当は、全部遊びで良い

地域に子どもの遊び場を作るプレーリーダーという仕事をしています。

【自殺者が増える夏休みの終わりに、不登校だった自分が思うこと】

僕自身もかつて、不本意な不登校を経験した。

ただ、当時の僕は、完全に学校を休むことを認めてもらえなかった。どうしても学校に行きたくないと泣きじゃくる僕に、親と教師が下した処置は「毎日時間をずらして登校し、学校の片隅にある狭い放送室で自習すること」だった。

息を潜め、廊下を通るクラスメートの声に怯えながら、自習するフリをする以外に何の選択肢もない毎日だった。

「ダメな俺を丸ごと認めてくれる人」とか「安心できる場所」とは程遠い虚な空間と最小限のやりとり。

そんな子ども時代を過ごした影響もあって20代の人生も散々なものだった。幼少の頃から親に求められてきたステレオタイプのシナリオからは完全に転落してしまった。

では、なぜそんな自分が社会復帰できたのか。

思い返すと、絶望した時に「死ぬ以外の選択肢」を複数持てたことは大きい。僕を救ってくれたのは、大きく2つ。

1つ目は、インターネットや本で手に入る自立的な情報だった。ウェブ上には、精神科に通い、アルバイトをしながらどうにか身を立てている人たちがいた。本には、「親への過度な依存関係を断ち切り、今こそ自分のために生きて行け」という精神科医の見立てが書かれていた。
手の届くロールモデルが散見できたことで、それが自分の新たな道筋となってくれた。

そして2つ目は、励まし合える人がいてくれたこと(親でも先生でもなかったが)。その人は今は妻。

一度は絶望した。生き方は自分で決めるしかなくなった。しかしその絶望の中でも,
①手の届く選択肢を知る機会があり、
②不格好でも支え合える存在がいれば、人はなんとか生きていける。

・"学校ムリでもここあるよ"(オンライン)→
 https://peatix.com/event/5115967

・"子どもの居場所は難しい?"(国分寺市)→
https://www.boukenasobibanokai.or.jp/training.html?fbclid=IwVERDUAToB1FwZG9mBWZkaWQWUMQPDyZ5W44HesBBkTV-9zF10HcBvWV4dG4DYWVtAjExAHNydGMGYXBwX2lkCjY2Mjg1NjgzNzkAAR6LnS1G5xMTj9NmnzpfQMBVt5eLGDifKd_v-HNpO-jGjChad-gkJqNKzXKNzQ_aem_Hrm0ac5SPCh3cUN

 

#居場所 #夏休み明け #フリースクール #プレーパーク #冒険遊び場

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学校ムリでもここあるよ

夏休み明けの時期(主に8月後半から9月上旬)は、18歳以下の子どもの自殺数が1年間で最も急増する極めて危険な時期です。 
特に9月1日は子どもの自殺数が突出して多い日として知られており、学校が再開するタイミングが強い心理的負荷となっています

そんな夏休み明け前に、下記イベントに,登壇します。無料でご視聴いただけます。ぜひ。↓

【2026年度オープニングイベント】《テーマ》

 今こそ、子どもたちの世界を生きやすく!

 


《日 時》

 2026年8月20日(木)19:00〜21:30(予定)/Youtubeでのオンライン配信

 ※Youtubeにアーカイブが残りますので、後日の視聴も可能です。

 


《参加費》無料

 ※寄付にご協力いただける方は、Peatixで寄付チケットのご購入をお願いします。

 


《スケジュール》(予定。変更になる可能性があります)

 ・19:00~19:05 挨拶、キャンペーンの紹介

 ・19:05~19:20 (1)子どもたちの「死にたい、消えたい」声から、

                    その気持ちや背景を考える 中村 尊

 ・19:20~19:40 (2)―① チャイルドラインという「子どもの心の居場所」 谷山 啓太

 ・19:40~20:00 (2)―② 「学校」を「子どもたちの生きやすい居場所」に 薄田 茂樹 

 ・20:00~20:20 (2)―③ 地域に子どもの居場所があることの大切さ 奥冨 裕司

 ・20:20~20:40 (2)―④ 家庭が子どもにとって心休める居場所であるために 池添 素

 ・20:40~20:45    ~  休 憩  ~

 ・20:45~21:05 (3) 質疑応答

 ・21:05~21:25 (4) 「子どもたちの世界を生きやすくするために」おとなは何ができるのか

 ・21:25~21:30 クロージング

 


主催:NPO法人フリースクール全国ネットワーク

共催:#学校ムリでもここあるよキャンペーン実行委員会

協力:認定NPO法人 チャイルドライン支援センター

 


登壇者の情報等イベントの詳細はこちらからご確認ください

https://peatix.com/event/5115967

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「スタッフが、子どもにプライベートゾーンを触られたら?」

「スタッフが、子どもにプライベートゾーンを触られたら?」

現場にいると、こんな問題にも深く考えさせられることがあります。

子どもを受容することと、自分と子どもの間に明確な境界線を引くこと。この両立の難しさを、僕自身痛感する場面が幾度もありました。

「ベタベタと触ってくるこの子は、一見ふざけているようだが、とてつもない寂しさを抱えているのかもしれない」

「執拗に攻撃してくるこの子は、これまで十分なふれあいが得られず、今も必死に求めているのかもしれない」

その子どもと遊びの日々を重ねるうち、その言動の背景に思い馳せるほど、「自分はどこまで受け止めれば正解なのか?」と迷い動けなかった時期がありました。

でも、いつまでも迷っていると、結果的に自分自身を粗末に扱い、自己犠牲に陥ってしまう。

そうなれば僕自身が体調を崩してしまうし、何より、大人が子どもの要求を無制限に受け入れることが、子どもの成長にとって本当に良いことだとも思えませんでした。

どこかで「自分はどうしたいのか」を決断し、毅然と線を引く必要があるように思います。

これは、性の問題に限りません。金の問題、暴力の問題、「ダメなものはダメ」で済まされがちなあらゆるルールの問題。たとえ法や大人の正論があろうと、子どもはある程度失敗を見逃されながら、少しずつ社会のルールや他者との距離感を学んでいきます。

「どこまでその子のニーズに応え、どこで線を引くべきか」

この問いに対して”こうすればOK”と言いきれる対応方法というのは、いまだに見つかりません。子ども一人ひとりによって、答えが違うからです。

それでも、僕は一つの指標として”尊重”をあげます。

「相手(子ども)を尊重する」。それと同じウエイトで、「自分自身(大人)」にも尊重の念を向ける。

大人が自分と相手の線引きを明確に示し、お互いの体を大切にする。その経験の積み重ねが、子どもの社会性やリテラシーに繋がっていく。

あえて言葉にして伝えるなら、こんな感じでしょうか。
「君のことは大事にしたい。そして同じくらい僕のことも大事だ。だから、これは(例えばプライベートゾーンを触られる事)嫌な気分になるんだ」と。

そして、こうして率直に言葉にした方が良い局面もあれば、今はあえて言わない方がいい局面も、たくさんあります。それもまた、目の前の子どもによって、その日の遊びによって、そして、それが続いてゆくかどうかによって異なる。

だから僕たちは今日も現場で子どもをじっくり観察し、その度に悩み、その瞬間ごとに決断していくのかな、と思います。

子どもの居場所

「学校が嫌だ。もっとあそびたい」 そう言ってハラハラと涙を流した11歳。 周りからは「いい加減学校に行かないと、取り返しのつかない“逃げ癖”がつくぞ」と言われていた子。

「家に帰りたくない。家にいても、生きてる心地しないよ」 閉場日の遊び場の前で、途方に暮れていた12歳。 その子にとって家は“勉強するところ”“押し黙って食事をとるところ”であり、安心して息抜きできる場所ではなかった。

「うち、学校にも市役所にもマークされてる。問題児だって」 そう言いながら、毎日「ただいまー!」と遊び場に来ていた12歳。 確かに問題も多く毎回頭を抱えさせられたけれど……目を凝らすほどに、そのすべての言動の裏には必死な想いが隠されているのが分かった。

「生きるのって、めんどくさくね? 考えるの、めんどくせえ」 遊び場でひとしきり暴れ散らした挙句、涙ながらにそう呟いた16歳。 あらゆる居場所で“出禁”を喰らってきたという。他の子と同じように毅然と受け入れ続ける私たちに、「甘やかしすぎだ、厳しく出禁にすべきだ」と酷評が届くこともあった。

……もし、彼らがこの遊び場に出会うことなく、そのまま地域に解き放たれていたとしたら。 彼らはどうなっていくだろうか?

学校には行けない。家にもいられない。 一念発起してバイトでも始めて、情に厚く絶対に見捨てない店長に恵まれる?
何か問題を起こしても、運良くじっくり伴走してくれる警察官にでも出会い、人生を根本から見つめ直す?
もちろん、そういう可能性もゼロではないかもしれない。

でも、僕たち地域の遊び場にできることは、本当に何もないのだろうか。
子どもたちが「やってみたい」とそぶりを見せた時。 年齢や国籍、個性に関わらず、僕たちはその想いと真剣に向き合いたい。

「プレイリーダーと一緒に遊びたい」のかもしれない。 「イタズラして、それを笑って受け入れてもらいたい」のかもしれない。 あるいは「ただ、ここに居たい」だけなのかもしれない。

僕たち自身、安心や安全、平和やそれなりの秩序を重んじているからこそ、実際には「できること」と「できないこと」がある。 それでも、彼らの内側に起きた「やってみたい」という衝動は、紛れもない事実として真剣に受け止めたい。

どうすればそれができるか? 本当にただ諦めるしかないのか? 他に方法はないのか?
一緒に一生懸命考え、あれこれ試し続ける。 そんな泥臭い日々を重ねるうち、子どもたちはこの遊び場を「自分の居場所」にし、自ら育ち、大人になって巣立っていく。
そして時々、まるで実家に帰るように、顔を見せに来てくれる。

地域の中に、子どもの居場所が必要な理由。
それは子どもの「今」を受け止め、未来へ繋ぐための、社会のセーフティネットなのだと思う。

#冒険遊び場
#プレーパーク
#居場所

 

【子どもの居場所に興味がある方へ】

9月13日(日)に開催されるシンポジウムにて、登壇します。

居場所づくりなんて簡単にできると思っている人もいるかもしれないけれど、実際にやってみると大変なこともいっぱいあります。 こんなに大変なのに、私たちはなぜ『子どもの居場所』をつくるのか?

皆さんと本気で考えてみたいとf:id:yujiokutomi:20260728124959j:image思ってます。
「プレイリーダーって何?」「地域の子どもたちのために何かしてみたい」という方はもちろん、18歳以上であればどなたでも大歓迎です! 座学ではありますが、【子どもスペース】もご用意していますので、お子様連れでも安心してご参加いただけます😊

一人でも多くの方とこのテーマについて語り合いたいので、お知り合いで興味がありそうな方がいらっしゃいましたら、ぜひシェアやタグ付けで教えてあげてください!
少しでも気になった方は、お早めに以下のフォームからお申し込みをお願いいたします👇
━━━━━━━━━━━📅 【2026年度プレイリーダー講習会シンポジウム】
🔹日時:9月13日(日)13:30〜16:30(13:00受付開始)
🔹場所:本多公民館(国分寺市本多1-7-1)
🔹対象:18歳以上の方はどなたでもOK!(子ども同伴可・子どもスペース用意あり)
🔹定員:先着60名
🔹参加費:500円(※当日会場にて現金払い)
✅ お申し込みはこちらから(要事前申込) 👇こちらのフォームよりご入力をお願いします
https://forms.gle/kCk6qZhdT3sHcNTc6
(チラシのQRコードからも読み込めます!)
▼ 特定非営利活動法人冒険遊び場の会 HP
https://www.boukenasobibanokai.or.jp

[お問い合わせ先] 主催:国分寺市子育て支援課(本多児童館) 実施:指定管理者 特定非営利活動法人冒険遊び場の会 TEL:042-323-8550 MAIL:puresute@boukenasobibanokai.or.jp
#プレイリーダー #国分寺市 #本多公民館 #冒険遊び場の会 #子育て支援 #子どもの遊び #シンポジウム #子ども同伴OK #居場所

『「子どもの居場所」は、大人がつくるものなのか?』

 

最近、「子どもの居場所」という言葉をあちこちで耳にするようになった。

しかし、現場で子どもたちを見ていると、つくづく感じる。居場所づくりとは「目的(ゴール)」ではなく手段であり、子どもが過ごした「結果」としてそこに立ち現れるものに過ぎないのではないか、と。

なぜなら、自分の居場所を決める権利は、大人ではなく子ども自身にあるからだ。

子どもたちは、自分にフィットする場所を自ら選び取り、それぞれ自由にそこを「自分の居場所」にしていく。

その一方で、僕たち実践者はどうか。

事業予算を獲得し、実績をつくるために「ここが君の居場所だよ!」と旗を振り、広報を打ち、イベントを開いて集客しようとする。

つまり、「居場所をつくること」そのものを目的化してしまってないか。

その結果、何が起きるか。

大人の都合で賑やかされた空間は、すでに子どもたちが静かに育んできた心地よい空気感や、大切な居心地を壊してしまうことがある。

僕たちが良かれと思って掲げる「居場所づくり」という言葉自体が、皮肉にも子どもの自律的な権利を奪う形になってはいないだろうか。

だから前回書いたように、僕たち実践者は常に自問し続けなければならないと思う。

「今、自分たちの関わりによって、子どもから何を奪ってしまっていないか?」

「私は『なぜ』この働きかけをしようとしているのか?」

居場所を「与える」のではなく、子どもが自ら居場所を見つけ出していくプロセスに、僕たちはどう寄り添えるのか。

その問いを抱え続ける事が、大事な気がしてる。

#居場所
#冒険遊び場

【大人は子どもに「自由」を与えられない。】

「自由になりたいなら、まずは責任を果たしなさい」

僕はどうもこの考え方にモヤモヤするので書いてみる。

自由とは、何かを頑張って「責任」を果たした者だけがもらえるご褒美なのだろうか。

僕は、子どもには本来、無条件に自由な存在であってほしいと願っている。

勿論、何でも好き勝手やらせて良いという話ではない。

たとえば、目の前の子どもが「チェンソーを使いたい!」と言ったら、僕は止めるだろう。

しかしそれは、「子どもにはまだ責任能力がないから(自由を与える資格がないから)」ではない。

そういう大義名分ではなく、「この子の世界観とキャパシティを大きく超える危険に対しては、僕が、僕自身の責任において止めるという選択をした」と考えたほうが、自分の中でずっとスッキリするのだ。

大人だからといって、上から特権的に子どもの自由をコントロールして良いとは思わない。ただ、致命的な怪我を防ぐために、僕は僕の意志と責任において、介入する。

本当は、誰もが生まれた瞬間から自由だ。そして、自由には必ず責任(行動の結果)が伴う。

世間は『責任=果たすべき義務』だと思っているが、本来の責任とは『自分の行動の結果を引き受けること』であるはずだ

そう考えるなら、赤ちゃんにだって「自分サイズの自由と責任」は存在する。 部屋をはいまわってゴツンと頭をぶつけて泣く。お漏らしをして気持ち悪くて泣く。それは彼らなりの「自由な行動と、その結果の引き受け」だ。

つまり誰もが生まれた瞬間から、その手の中に「自由と、自分サイズの責任」を握りしめている。

自己責任は、本来はグラデーションのように少しずつ大きくなっていくものなのに、世間はある日突然『自己責任だ!』と極端な罰のように振りかざす。

そうではない。

自由と責任は生まれた瞬間からある。
ただそれが、大人になればなるほど、体の大きさに比例して、扱える自由と責任の質量が大きくなっていく。

「自由と責任」は、誰かに認めてもらって手に入れるものじゃない。最初から、みんな持っている当たり前のものだ。

大人は、大人の責任で子どもの自由を奪う。
けれど、大人が子どもに自由を「与える」ことなんて、本当はできないんだと思う。

重要なのは「今、自分はこの子から何を奪っているのか?」、そして「それは本当に必要な簒奪なのか?」を考え続ける事だ。
#冒険遊び場
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