遊びと子どもについて語り尽くす

地域に子どもの遊び場を作るプレイリーダーという仕事をしています。

子どもの我慢強さ(前編)

子どもの我慢強さ
「もう少し我慢させないと、将来がまん強い子になれないのでは?」。

子ども達が好き勝手に遊んでばかりいる光景を前に、こんな心配の声もあります。
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僕は、25歳の時に境界性パーソナリティ障害と診断されました。情緒不安定で傷つきやすく、キレるたびに簡単に自暴自棄に陥り、突然何をしでかすか、自分でもわからない危うさを持っていました。この時点では、とても社会にでて他人と一緒に働けるような状態ではありませんでした。ところが、子どもの頃は周囲の大人からよく「お前は我慢強いなあ」とか「大人しくて良い子だよなあ」などと評価されたものです。「わがままを言わない」「他人に譲る」「人に従う」そんな子どもだったと思います。

 

 ⚫︎知恵も知識も未熟な子どもの器にただ"我慢"を強いている時、その器には負荷がかかっていると思います。厄介な事に、子どもに過度な負荷がかかっていても、それを外からハッキリ確認することができません。圧力鍋のイメージが近いと思います。しかし、10代の中頃にもなると、かけ過ぎた圧力は人間関係や生活態度そのものに異変として現れます。世界について、自分なりの解答を抱きはじめるのが、この時期だからです。

 

そういう時期に、僕は「自分らしく生きるにはあまりに生きづらいのがこの世界なんだ」と悟りはじめていました。そうなると選択肢を自ら閉ざしてゆきます。あらゆる局面で逃げることしか思い浮かびません。にも関わらず、どこまで逃げても、逃げきれないのです。引きこもりの人が外に出れないのは、引きこもった部屋においてすら、「ここから始めても良いんだ」と心から思えないからです。

 

僕の場合は、インターネットや主治医や本を介して、良い知識、良い知恵、良い薬と出会えたおかげで、どうにか無事に生きながらえる事が出来ました。絵を描いていたおかげで、曲がりなりにも自己表現できていたことも、大きいかもしれません。

とにかく、人が生きてゆくために必要な忍耐力は、我慢し(させられ)続ける事で身につくものではない事が、この経験ではっきりしたのです。

子どもの我慢強さ(後編)へつづく