「非認知能力」という言葉を知った時、「これで子どもが遊ぶ事の重要性が、もっと具体的に理解されるのかも」などと淡い期待を持ったものですが、今では、もし非認知能力の獲得なんかが子どもの遊びの目的になってしまえば、そこに優劣がついて、生きる事そのものがとても味気ないものになってしまうのでは、などと心配しています。
そんなことを考えていたら早速、「本来数値化できないはずの非認知能力を、数値化してみました!」なんてニュースも見かけてしまい、「非認知とは!?」とツッコミをいれつつさらなる危機感を募らせています。
数値化なんかせず、よくわからないものはよくわからないまま、でも大人も子どもも非認知能力上がるといいね、うんそうだね、くらいにしておいたほうが良いのではないでしょうか。
能力の獲得とか発達とかは目的にはせず、それが上がるも下がるも人が懸命に生きた結果として、ただ慈しむ視点を大事にしたいなあ、と思うのです。