遊びと子どもについて語り尽くす

地域に子どもの遊び場を作るプレイリーダーという仕事をしています。

子どもの暴力への対応

子どもの喧嘩(暴力)にどう対応しますか?と聞かれて

 

①『自我と自我』

僕は遊び場で子ども同士の喧嘩が起きても、喧嘩自体を即座に止める、という事はあまりしません。友達と仲良くして欲しい気持ちはもちろんありますが、それ以前にまずは、自分の気持ちを大事にしてほしいからです。

 とはいえ、やはり子どもなので、自分の気持ちをどうにか押し通したくて、つい手を挙げてしまう事もあるでしょう。これを「怪我をしないように見守る」というスタンスもあるようです。僕も以前はそうでしたが、現在はこの方針を見直しています。怒りのままに他人に力をぶつける行為を大人が見守ってしまうと、「なんでも困った時は力で圧倒すれば良い」と認める事になるのを危惧しているからです。

 


②『暴力以外の方法』

では、子どもが手を挙げてしまいそうな時はどう対応するのか?

出来る事なら、軽やかに介入して"暴力以外の選択肢"を照らすのが僕の理想です。しかし、すでに興奮している子ども達を前にどうしようもなかった事は一度ならずあります。10代の勢いの前では、軽やかな介入なんて簡単に相殺されちゃいますから。そんな時は「あー、暴力だけは勘弁してくれ!僕は安心が1番大事なんだ!」なんて無様に叫んでみた事もあります(子どもには鳩が豆鉄砲を食ったような顔されましたが、殴り合いはこれで止まりました)。

”暴力以外の選択肢”というのは、このように全身全霊で(子どもにではなく、空に向かって)表現する事だったり、率直な語彙を選択して、丁寧に届ける術だったり、時には遊びそのもの、という事もあるのです。

 

 

③『子どもの暴力性と遊びの専門職』

例えば

子どもが相手をぶん殴りたくなったのなら、そんなはやる気持ちを共に叫びながら、衝動の矛先をルールを決めた遊びに転換してゆく、なんて事もあります。

うまくいった時は、泥の投げ合いだったり、解体寸前の木工作品を、ゲームとして破壊する、そんな遊びに繋げることができます。サンドバッグはただぶら下げておくより、僕が抱えながら「よっしゃ打ってこい!」と受け止める方が盛り上がります。それを友達同士で始めたら、もう遊びですね。

 

 とにかく気をつけているのは、「子どもの怒りを大人の力で鎮めることはできない」という事です。これは、感情はその子のものであるという前提に立った考え方です。「そんな小さい事で怒るな!」と大人に言われて怒りが収まるわけではありません。そしてもう一つ。「人に叩きつけるだけがその表現方法ではないということを、大人だから示していかなければならない」という事です。僕は、こんな事が子どもの情動(遊び)に関わる大人の、重大な役割の一つであるとさえ考えます。

 


④『遊びから平和へ続く道』

子どもは遊びの中で滑ったり転んだりしたながら、痛みから逃れる術、すなわち自分で自分を守る術を学ぶと思います。しかし、痛みからそうした技術は学べても、そのモチベーションとなる"思いやり"そのものは学んでいないと思うのです。ましてや暴力による成功体験は、いつか暴力以外の表現方法を諦めるら十分な理由になってしまうのではないでしょうか。

 

平和に近づくためには「アンパンマンを見せない」「チャンバラをやらせない」という事ではなく、僕達が自分の中の暴力性をそこそこ認めた上で、それとうまく付き合ってゆく方法を模索し続ける事だと思うのです。