遊びと子どもについて語り尽くす

地域に子どもの遊び場を作るプレイリーダーという仕事をしています。

子どもに怒るという事

子どもが相手でも、怒りが湧いた時に怒る事は大切にしています。

 大人が感情を抑圧していれば、いつまで経っても子どもから信用されない(むしろ、ただ利用される)、と考えているからです。

 


 10年前にプレイリーダーとして遊び場の管理責任を担うようになってから、実に様々な子どもの情動を目の当たりにし、多大に影響を受け(てしまい)、沢山の感情表現を経験しました。場の秩序を守る事に執着して、小学生集団相手を全力で怒鳴りつけて凍りつかせてしまった(そして彼らは来なくなった・・・・)、なんてこともありました。

 


 今は、例え怒りが沸いたとしても、それを無遠慮に子どもにぶつけるような事は敢えてしないようにしています。それは遊びに来る子ども達に「とにかく先ずは安心してほしい」と望むからです。なので、「怒るのを我慢する」とか「怒りが自分でもよくわからない」という事とは違います。言葉と表情(と行動)を尽くして丁寧に、より率直に表現する方法を、毎回模索しているということです。

 


 これを実現するために僕の場合は、この数年毎日具体的なトレーニングを実践しています。教育学者コルト・ハーヘンの「8つの窓」というリフレクション(内省)のフレームワークと、非暴力コミュニケーション(マーシャル・ローゼンバーグ/NVC)の概念と語彙、それとスマホのメモアプリを組み合わせた自分なりの方法なんですが、これが実はとてもおすすめです。モヤモヤした感情を言語化して整理整頓することで、次になにをすれば良いのか(自分は何を望んでいるのか)が明確になります。それを繰り返しているうちに、今度はいつのまにか怒りの前段階にある、微細な感情の動きを表現していることに気づきます。「それを見ると僕は嫌な気分になる」「理解して欲しくて、うんざりする」「大事にされたいから惨めな気分になった」。これらのセリフは、怒りに達する前の感情を表しています。丁寧な言語化は、非暴力を実現しうる重要な一手だと考えます。

 


 このリフレクションのさらなる利点は、やり方が習慣化すると相手(子ども)のことも同様に"見立て"るようになることです。「ああ、あの子は受け入れられる必要があるから、イラついてんのかな?それなら、気持ち分からなくもないなあ」などと子どもの感情に説明がつくと、怒りというのは大して湧いてこないものです。むしろ、「大丈夫だよ」と抱きしめる余裕さえ生まれます。

 


 そしてなによりも、子ども達に「暴力的じゃない表現方法があるんだよ」と大人が具体的に示してゆくことが大事です。僕は、この暴力性に自ら折り合いをつけてゆくこと、その挑戦を諦めない事が、人が生まれながらに担う課題のような気がしています。・・・・なんて書いておきながら、頭の中では「このクソガキ!」なんて罵倒しちゃう事もあるのですが。

 


「子どもに怒ることあるの?」にはこんなふうに答えれるけど、「もっと怒らなきゃダメですよ」とか、逆に「怒っちゃダメなんですか?」なんて聞くと、上記したような実態を知って欲しいのでムカついてしまいます(怒)。